この康熙字典は「第2次世界大戦が終わるまで、中国でも日本でも朝鮮半島でも、漢字のスタンダード」(阿辻教授)だった。この字書では「しんにゅう」の点は二つ。従って、「点二つが正しい」ことになった。
●戦後の国語政策で揺らぎ始める
日本で漢字が揺らぎ始めたのは終戦直後だった。
阿辻教授によると、連合国軍総司令部(GHQ)の指導の下、日本で「漢字は廃止か、少なくとも制限するべきだ」との議論が起きた。そんな状況で、一般社会で使う漢字の範囲を示したのが1946年の「当用漢字表」だ。さらに49年、正しい活字製作の指針である「当用漢字字体表」(いわゆる当用漢字)が定められた。
当用漢字には1850字が収録された。簡略化の方針に沿い、部首のしんにゅうは、すべて点一つになった。このとき、当用漢字以外の文字のしんにゅうは、点二つのまま放って置かれた。こうして、二重構造が生まれたというのである。
時は過ぎて1981年。当用漢字に95字を新たに加え、日常的な使用の目安である「常用漢字表」(いわゆる常用漢字)が定められた。追加された中に「逝」「遮」の二つの文字があった。本来は点二つのはずだが、「常用漢字への『出世』にあわせて、点一つにそろえた」(阿辻教授)のだという。